多角的関税交渉の展開とその限界 2
1949年、スイスとの国境に近いフランスの小さな町アヌシーで開かれた第2回一般的関税交渉(いわゆるアヌシー交渉)およびその翌年の50年から51年にかけてイギリスのトーキーで行なわれた第3回一般的関税交渉(いわゆるトーキー交渉)は、いずれもガット加盟国の拡大を契機に、以上の方法を踏襲しつつ展開された多国間関税交渉でした。
前者ではガット既加盟国21力国と、新しくガットに加盟したイタリア、スウェーデン、デンマークなど11力国との間で多角的二国間交渉が行なわれ、147の二国間協定が成立し、譲許品目も5、000におよんでいます。
また後者ではガットへの新規加盟国であるオーストリア、西ドイツ、韓国など7力国と既加盟国との交渉と、期限切れを控えた従来の関税譲許の再交渉とを同時的に行ない、参加国34、成立した二国間協定数147、新たに譲許された品目数も8、700を数えました。
・・・以上のアヌシー、トーキー両交渉は、ガット加盟国の外延的拡大と既加盟国の関税譲許の内包的展開とを同時的に実現したものであり、
「自由主義経済諸国の貿易における安定と団結」
・・・を達成したものと評価されています。
ここまでは、ガットはきわめて順調に発展するかのごとくみえたのです。
しかし、それ以降になると、ガットの一般的関税交渉には次第にかげりがみえ始めます。
第4回交渉が1956年、第5回交渉(いわゆるディロン・ラウンド)が1960~61年と、その開催が次第に間遠になるとともに、交渉への参加国、関税譲許品目数とも顕著に減少していることがそれを示しています。
・・・とするならば、こうしたガット交渉の縮小をもたらしたものは一体何なのでしょうか。